「ススキ追い漁」はどのようにして始まったのか

 「ススキ追い漁」はたくさんの人手と手間のかかる大変な漁法ですが、それに対する見返り(漁獲量)はそれほどたいしたものではありません。そのような大変な漁法を昔の人はなぜ行っていたのか‥?かねがね疑問に思っていました。
 最近、この地域の郵便局で発行する「郵便局だより」bR2(平成15年9月発行)にそのあたりの事情が紹介してありましたので、記事の一部をここに引用して紹介させていただきます。

スズキ追い漁の起源
 川丈地域(熊野川流域)では、水稲の出穂前後に日照りが続き各水系で水不足が予想され、稲作に被害が出る恐れがあると庄屋を中心に有志たちが、氏神に参拝して雨乞い祈願をした。大勢の百姓たちが、大川に出て淵に石を投げ、竿で水面をたたき、川を荒らすことによって水神を呼び覚まして雨乞いをする作業であった。その作業が発達し実益を兼ねた神事とすることで、川漁に発達したのがスズキ追いの起源とされる。

 熊野川町近辺では、昭和30年頃まで行われていたが、「ダム建設で水位が安定しなくなった」「田の水路が完備され取水給水が安易となった」「魚の減少、蛋白源が豊富となった」「地域行事・団体行事の減少」などの理由により、実施されなくなったと考えられる。
以上「郵便局だより aD32」より
 その後、平成6年に、40年ぶりに「ススキ追い漁」は復活し、平成13年までの間に6回行われています。最初の年は失敗して魚が入らなかったのですが、その次からは毎回およそ20〜30匹前後のスズキが獲れているということです。
※熊野川町では魚の「スズキ」のことを一般に「ススキ」と呼んでいます。
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